西島悠也|福岡の意外な雑学をご紹介

西島悠也|福岡市の雑学

 

西島悠也

 

 

今回は、福岡市にまつわる雑学を皆様にお教えしましょう。

 

 

まずは、福岡市誕生の雑学から。

 

もともと福岡市は、博多と呼ばれていました。
それが、1600年に武将・黒田長政が先祖の地であった備前(岡山)福岡にあやかって、城下町の名前を福岡としたのです。
それ以来、中洲を流れる那珂川を境に東を博多、西を福岡と呼ぶようになったのです。

 

そして1889年(明治22年)4月、政府から市制と町村制の公布が行われました。
その際に、新市名を「福岡市」にするのか「博多市」にするのかで大論争が巻き起こりました。

 

1889年4月1日現在で、博多部の人口はが約25,000人、福岡部は約20,000人。

 

翌年の2月の議会で、議員の一人が「市名変更の議」というものを提出。
この時、議員は博多側17名、福岡側は13名だったのですが、大詰めの議会で博多部の議員4名が欠席。
(この4名の議員はトイレに軟禁されたという噂も・・・)

 

その結果13票対13票の同数になったのですが、
その時に、旧福岡藩の武士だった議長が、議長席を降りて1議員として投票したのです。

 

もめにもめた結果、1票差で福岡市になったのでした。